2017年3月号 第373号
ローソクの芯に火が灯った瞬間が人の誕生とすると火の消える時が臨終です。
ローソクにも長い短い、太い細いがあって、火が燃え続けている時間にも長短があります。それと同様、人の寿命にも生まれながらに長短があるようです。
しかし、せっかく長く太いローソクのような寿命を生まれながらに与えられていながら、そのいのちを粗末に扱ったため、あるいは世の無常の風に吹かれて、途中であえなくいのちの灯びを消されてしまう人もいます。
生まれ持っての寿命は短く細いものであってもそれを大事に最後まで使いきって臨終を迎える人もいます。
それにしても、人のいのちというローソクは実際のローソクと違って、あとどれくらい残りがあるかを目で推し量ることができないところが難点です。いや、だからこそ今日一日を一生懸命に大事に生きようという気持ちも生まれてくるのかもしれません。
佛立信者である私たち、寿命の長短よりも、この私といういのちの灯びが周りをすこしでも明るく照す、つまり人さまのお役に立つ灯びとなるよう心がけつつ、与えてくれた寿命を完全燃焼したいものです
いきている 日数の中の
きょうの日を
いたずらならぬ ように暮せよ
あなうれし 人と生まれし
かいありて
みのりのために
きょうも暮しつ
(日扇聖人ご教歌)