2018年1月号 第383号
啼啄同時
「啼啄同時」という言葉がある。
「嘩」とは鶏の卵がかえろうとする時、ヒナが殼から出ようと中からつつく音のことである。
「啄」とは母鶏が外から殼をつついて、外へ出ようとするヒナ鶏を手助けしてやることである。
「同時」とはそのタイミングがピタッと合うということである。
二つの働きかけがピタッと合わさつてこそ事は成就するということを説いた教えでもある。
考えてみれば、本門佛立宗のご信心とはまさに「啼啄同時」の大切なことを説くご信心である。
いかにご本尊内にまします仏さま、日蓮大士が私たちを導き守ろうと慈悲の心をこちらに向けて下さっていても、こちらにそれにお応えしようという思いが薄ければ、つまり「同時」でなければ、ご感応は生れず、従って、ご守護もご利益も頂くことはできない。
開導日扇聖人は、
かわるなり おなじみのりを
いのれども
願うこころの
ふかさあささに
と御教歌下さっている。
今年は「願う心」をさらに深め、常に御本尊とご感応し、ご守膜、ご利益の頂ける信者にならせて頂くようお互いに心がけさせて頂きたいもの。
ご信心にたいする随喜の念が所作、言葉ににじみ出、あふれ出る笑顔美男、笑顔美女揃いの香風寺を目指したいものである。
(この私も心がけまっせ。)