2019年3月号 第397号
いつも心に妙法を
法華経の第十二章、提婆達多品に「情に妙法在する故に、心身に懈惓無かりき」というご文が出てきます。
「私は法華経という教えにお出会いし、尊い、有難いご信心をさせていただけるようになった」という思いを懐くご信者は、ご参詣やご奉公をさせていただくことをしんどいとか面倒くさいとは思わないという意味です。
世間の人からみると、「お金にもならないのにお寺のために時間や労力を使うなんてあほらしい、その時間、労力をパートにでも行って使うほうがよっぽどましや」ということになるかもしれません。
ご参詣、ご奉公を通して感得するご信心の醍醐味というものは、ご信心気のない人にはわからない境地です。法華経の第十九章、法師功徳品には、
「ただ独り明了にして、世人の見 るところにあらず」 とも説かれています。
お祖師さま(日蓮聖人)のご降誕八百年を目前に迎えるにあたり、お互い一段高い心の境地、すなわち、「心身に懈惓無かりき」、「余人の見るところにあらず」という佛立菩薩としての心根を備えた香風寺信徒にならせていただき、もってお祖師さまへのなによりの報恩ご奉公とさせていただきましょう。
あいがたき みのりにあいし
うれしさを
わするるまなく
くらすうれしさ
(御教歌)