2019年12月号 第406号

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odousi-photoエンマさんはどこに

 「生きている時、嘘ばかりついていると、死んだあと、閻魔エンマさんに舌を抜かれるぞ。」

 子供の頃、父親からこんなふうに言われておどかされたことがありましたっけ。

 私は真面目な嘘などついたことのない少年でしたので、父親にそんなふうに思われていることが心外でした。もっとも小学校時代、教室で学校の先生をからかったり、ちゃかしたりしたことはよくありましたけれど。

 エンマさんは仏典にも出てくる魔王で冥界、冥土の入り口で死者となってやってきた霊を裁判し、生前、悪い事ばかりしてきた霊を地獄へ送り込む権限を持っているとされています。

 が、実はこのエンマさん、冥界、冥土の入り口で死者を待ちかまえているのではなく、人が生きている間から、それぞれの人の心の中に存在して、その人の行動を看視しているのです。人の心の中に存在するこのエンマさんのことをアラヤ識といいます。

 人間の心の深層部に備わるアラヤ識という心は、人が一生涯において考えたり、見たり、聞いたり、語ったり、身体で行ったことの一切合切を種子として記録し保持するという機能を備えています。

 種子というのは自分の運命を創り変え、創り出す精神的エネルギーのことです。

 人に対して思いやりの心をもって接すれば、それは良い種子となってアラヤ識に送り込まれ、自身の運命を良くしていき、人を困らし苦しめるような行為をすれば、それは悪しき種子となって自身の境遇を悪くしてしまう。 そのことを人々にわかりやすく教えるために説かれたのがエンマさんのお話なのです。

 近年、アメリカやカナダの医学者や科学者によって臨死体験の研究が盛んに行われるようになりました。

 臨死体験とはある種の死後の体験です。医師から「この方は今ご臨終しました。」と死亡宣告を受けた人が、数時間後に蘇生するという例がまれにあります。人は心臓が停止し、呼吸が止り、脈拍もなくなると死亡したと判断されます。ところがそんな状態から再び意識を取り戻すことができた人から「死んだ」と判定された時間中にどんな体験をしたかを聞き出すことができるようになったのです。

 こうした臨死体験例を集めた医学者、科学者の研究報告を読んでみると、臨死体験者が一様に語っていることがいろいろあります。その一つが、息を引きとった直後、鏡のようなものに自分の生前の行為が映し出されて、反省させられたという体験です。そして慚愧ざんきに堪えない気持ちになった。後悔の念でいっぱいになったと語っているのです。

 こうした臨死体験を持った人たちは蘇生したあと別人のように人に対して優しくなり、より充実した人生を生きることを心がけるようになるのだそうです。

 本門佛立宗を開かれた日扇聖人(開導聖人)は、臨終の後にそのことに目覚めるのではなく、生きているうちに目覚めた人となりなさい。そのために法華経の教え、日蓮聖人の教えを頂いてご信心に心がけなさい、と御教歌や御指南によって説き残しておられます。

 年末を迎え、この一年、すこしでも目覚めた人に近づけたかを省み、新たな誓いを立て来年へと信行の歩みを進めていきたいものです。

 「心の鬼が地獄へ連れていき、

  心の菩薩が寂光へと導く。」(日扇聖人御指南)


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