2020年5月号 第411号
ー「壺中に天あり」ー
この言葉は中国の寓話から来ています。昔、後漢の時代、如南という町に費長房という人がいました。ある日、彼が楼上から大通りを見るともなく眺めていますと、老人が市で薬を売っている姿が目に入りました。
見ていると、この老人は店じまいを終えると店先に掛けてあった壺の中へヒョイと入りこんでしまったのです。
そこで費長房は翌日、老人のところへ行き、「おい、老人、昨日はどうした。見てしまったぞ。」と言うと、「見られたのでは仕方がない。あんたに見せてやろう。ついて来なさい。」と言いました。
二人で壺の中へ入ってみると、壺の中はまことに広大な新天地。費長房はそこでしばしの間、異境のムードを楽しみ、また地上へ還ってきたというお話です。
この寓話は人それぞれが自分という壺の中に、自分にしかない天、即ち自分自身の世界を持ちなさいということを教えているのです。
では私たち佛立信者にとって「壺中に天あり」とはどのような天なのでしょうか。それは「佛立信仰」です。
ご信者の壺の中、すなわち心の中に「ご信心」という世間の人にはない雄大な世界が拡がっているからこそ「市」、すなわち娑婆と呼ばれる世の中で直面するさまざまな困難、苦難に香風、すなわち御法のお力を頂いて乗り越えていくことができるのです。
コロナウイルス感染がいまだ終息しない娑婆世界にあって、ご信心という「天」を頂く私たち佛立信者は、世間の人とは次元の異なる処し方、すなわちご信心を軸にした処し方を示していきたいものです。
信心は日々にあらたに清くせば
神の守りも強しとぞ聞く
※「神」とは御本尊内の諸天善神のこと
信心をする人の住む家なれば
悪鬼悪魔の来るたよりなし
※「悪鬼悪魔」とは病気・災難のこと「たより」とは隙間のこと
こういう時期だからこそ一層信行に心がけ、御法さまから尊い清らかな風を送っていただき、コロナウイルスを吹き飛ばしていただくご守護をいただきましょう。