2020年11月号 第417号
あほそうなかしこになる法
一、知ったかぶりをしない
開導聖人は
知らぬこと知らぬといいて
たずねなば
世はやすらかなものにぞありける
と詠まれ、これが「当門行者の心地」すなわち、佛立宗のご信者の境地でなくてはならぬと諭しておられる。
反対に
どうしても物識り顔の
したいのを
それをあほうの病とぞいう
と、知ったかぶりをするアホな信者にならぬよう戒めておられるのである。
では、なぜ知ったかぶりをしたり、賢(かしこ)ぶったりしてはいけないのか。
人間的に自分を高め磨き上げることができなくなってしまうからである。
名字即とはウブで素直な境地を失わないご信者のことであるが、それは進歩、向上を求めないという意味ではない。常にご信心の増進を心がける人でもあるのである。
ところが、知ったかぶりをし、賢ぶるようになると、自分を高め磨いてくれるような外からの知識や情報をインプットできなくなってしまう。
人の話に素直に耳を傾けようという謙虚さが失われてしまうことになる。
日扇聖人はこのような人を「あほうの病(やまい)」を患った人とおっしゃっているのである。
よの人のあほはさておき
おのが身の
あほをしる人かしこなりけり
ウブで素直な「あほそうなかしこ」のご信者になることこそが、常に御宝前(御本尊内の仏、菩薩、諸天善神)から、ご守護、ご利益を頂く一番の秘訣なのである