2021年2月号 第420号

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シルクハットの取違え

odousi-photo 本門佛立宗を開かれた日扇聖人の知人の一人に高崎正風(まさかぜ)という歌人がいました。この人は薩摩の出身で、明治維新の際の功績で男爵(だんしゃく)となり、宮中御歌所所長、枢密顧問となった人です。

 こんなエピソードが残っています。

 ある時、高崎正風は日扇聖人が詠まれた直筆のお歌を明治天皇にお見せし、手本となさってはとお勧めになりました。明治天皇は日扇聖人の書体に感心され、その歌の内容にも興味を示されたのですが、あまりの達筆に「ちと難し」と感想をもらされたのだそうです。

 この高崎正風にはこんなエピソードも残っています。

 高崎正風が皇室のある殿下を新橋駅にお見送りして帰宅すると、どこでどう替ったのか、自分のシルクハットが他の人のものと入れ替っていました。

 そのシルクハットには「伊丹」(いたみ)という名が帽子の裏に記してありました。取り替えに行かなければと思索するほどもなく高崎正風の許へ伊丹氏の使者がやってきました。

 この使者、自分の主、伊丹氏の威勢を笠に着てか高崎正風の不注意をなじるような物言いをしました。

 高崎はどちらが先に取違えたかは不明である場合は相方共に一応非礼を詫びるのが礼儀と考え、使いの者にシルクハットを返す際歌を一首添えて持たせて返しました。

 誰(た)が先に取りちがえたか知らねども
  わたくしならばいたみいります

 「誰がさき」は「高崎」、「いたみ」は「伊丹」にかけて、皮肉まじりのユーモアたっぷりの詫の歌を即興で詠んだのでした。

 私たちも高崎正風を見習い佛立信者らしい度量を備えて物事に対処していきたいものです。

 なお、明治天皇がご覧になった日扇聖人のお歌は

  草がくれながるる水も
   せかれては
  世にありがおに
   音たてぬめり

 静かに仏道修行に励もうと思っていたが、有難い、正しいご信心の世界に人々をも導こうと志したことによって、自分の存在がはからずも着目されることになってしまった、といった意味のお歌ですが、きっと明治天皇も日扇聖人のこのお歌をご覧になって「我が想いと同じや」とお思いになったことでしょう。


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