2023年7月号 第449号
移ろいやすき世にあって
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀(よど)みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」
上記は鎌倉時代前期の歌人、鴨長明(かものちょうめい。一一五五~一二一六)の書き残した『方丈記』の一節です。
上記に挙げた文章に続く文章を、私なりに神戸弁に翻訳して書いてみましょう。
「わてらの人生もかんがえてみたら河の流れのようなもんでんな。屋敷や住居が立ち並んでる京の都は昔から変わってないように見えますけど、調べてみたら昔のままの家は例外ですわ。去年焼けて今年になって建て替えられた家もおまっせ。昔は豪邸やったんが、なん軒かの小さな家になってることもおますわ。人も住む家もどんどん変わっていくもんなんですな。その日の朝に生まれてくる子がおれば、夕方に亡くなってしまう人もいる。ほんまにこの世は仮の宿みたいなんですな。」
現在、香風寺が建っている須磨の関守町や、その周辺は須磨海岸も含めて、明治時代後期から大正時代にかけては、いわゆるお屋敷町、別荘地でした。その当時の地図を見ますと一軒あたり三百坪から五百坪の屋敷が立ち並んでいたことがわかります。香風寺の南にあるマリスト学園は一軒の大邸宅の跡地に建てられたんでっせ。まさに鴨長明の『方丈記』の世の中にある人と栖と、またかくのごとし、でんな。
寂光は娑婆の金銀不通用
わが信行の 功徳のみゆく
(御教歌)
箸かたし 持ちてはいなぬ
娑婆のもの
身にそうものは 功徳ばかりぞ
(御教歌)
〈意訳〉
私たちが死を迎えた時には、自分の所有物だと思っていたものは、たとえお箸(はし)の一本すらあの世に持ってはいけません。我が魂に添えて持っていけるものは生前に信行に心がけることによって積み重ねた功徳のみなのですよ。