2023年9月号 第451号
御奉公ってなんだ
〇ボランティアとの違い
私たち本門佛立宗のご信心をさせていただいている者は「御奉公のほどよろしくお願いします」とか「御奉公があります」といった具合によく「御奉公(ごほうこう)」という言葉を使います。が、さて御奉公ってなんだと問われるとちょっと説明しにくいですよね。
そこで「御奉公」の意味あいをはっきりさせるために、まず「ボランティア」という言葉と比べてみることにしましょう。
「ボランティア」というのは自発的にという意味で、報酬(ほうしゅう)を求めずに好意で他のためになにか役立つことをすることです。佛立宗の「御奉公」もそういう意味ではボランティア活動なんですが、ボランティアよりは「敬い、感謝の気持ちを込めてお仕えさせていただく」という意味が強いんです。
それとね、ボランティア活動は自分の都合でやる、やらない、続ける、止めるを決めることができますが、御奉公となるとそうはいきません。「奉公」とは「公(おおやけ)に奉(たてまつ)る」ということですが、この「公」という字には「我を押える」という意味がこめられています。「公」の「ハ」は蓋(ふた)のこと、「ム」は私のことです。
つまり、私、我に蓋をすることが「公」。だから、自分の思惑(おもわく)や都合を優先させないで、「奉る」、 つまり「させていただきます」という謙(へりくだ)った気持がこめられていないと「御奉公」とは言わんのです。
法華経の法師品というところには、御奉公とはなにかをこんな風に説いています。「如来の遣(つかわ)す所として如来の事(じ)を行(ぎょう)ずるなり」
仏様、つまり釈迦如来の思し召しに従い、仏様のなさることを代ってさせていただく、これが御奉公です。だから、こんなもったいない、有難い、尊いことはないという随喜の念がともなうわけです。
法華経の提婆(だいば)達(だっ)多品(たほん)という章には「情(こころ)に妙法を存(そん)する故に、心身懈倦(けけん)無かりき」という御文で出てきます。心に御題目を唱えるご信心は有難いという随喜の念が備わっているから、日々の御奉公を面倒くさい、しんどいと思う心が起こらないというわけです。
御奉公させていただく醍醐味(だいごみ)というのは、ご信心のない人にはわからん境地です。だから法華経の法師(ほっし)功徳品(くどくほん)には「唯(ただ)独(ひと)り自(みずか)ら明了(めいりょう)にして、余人(よにん)の見るところに不(あ)らず」と説かれています。これが御奉公精神。
〇御奉公のご利益
そうやってまことの御奉公精神を懐いて信行に励ましていただいたらどんなご利益を頂くことができるのか。周りのご信者からも、子や孫、知人、友人、だれからも慕われ、頼られ、愛されるという人柄になるというご利益を頂くことができるんです。
人は毎年、年輪を重ねます。御奉公に心がけることで人間的に成長し、皆さんから慕われ、頼られるような佛立信者にならせていただこうじゃありませんか。
願くはつかい給れ奉公を
するなんどいふ
身分ではなし
(御教歌)
信心は年をとるほど若返れ
(日扇聖人御教句)